「全員が社長」「全社経営」などの言葉は耳触りは良いが、経営者が社員を都合よく使いたいだけの
”まやかし”に過ぎないのではないか。本当に必要な「経営感覚」とは何かを考えるべきだ。
◆「全員が経営者」は是か非か
あなたは、「社員が経営者のように考えてくれたら…」
「もっと経営の数字を意識する社員ばかりなら…」と考えたことはないだろうか。
残念ながら、社員は自分の給与額は覚えていても、会社の数字は忘れてしまっているもの。
全ての社員が、経営者と同じ意識で、日々の仕事に取り組むことで
業績は向上するのに…と社長が考えたくなるのも自然である。
以前、当社主催のセミナーにて、参加している経営者に
「もし、あなたの会社の社員が社長と同じ意識で仕事をしたら、どんな会社が出来ると思いますか?」
と尋ねたことがある。
すると、大半が「業績が伸びる」「全員、会社のために頑張る」など、
会社が良い方向に進むという意見の中、1人だけ
「自分と同じ考えだったら、独立するよ」という意見の社長がいた。
「そのとおり!」と思わず合点したものだ。
社員に経営者と同じ意識でいることを求めるのは、経営者のエゴである。
「全員が社長」「全社経営」などの言葉は耳触りは良いが、
経営者が社員を都合よく使いたいだけの”まやかし”に過ぎない。
社員に経営者と同じ意識を求めるならば、同じ給与・権限を提供してからにしてもらいたいものだ。
安い給与で、たいした権限も与えられずに、
意識だけ経営者であることを求められる社員の側は堪ったものではない。
◆経営感覚の有無
社員全員を経営者とするのは、ナンセンスだが「経営感覚」を持ってもらうことは重要である。
しつこいようだが、経営「者」感覚ではなく、経営感覚である。
経営感覚を持っているか否かは、普段の業務に影響する。
例えば、宅地の購入を検討する場合。
経営感覚を持たない営業マンは、「自社地があれば住宅が売りやすい」という発想だけで購入を発案する。
営業部長クラスになると、土地と建物セットでどのくらいの収益が見込めるかを考えるだろう。
さらに、経営感覚を持っていると、土地が売れ残った際のリスクや資金が固定化される月数、
財務に与えるインパクトなどを考慮するようになる。
この経営感覚は、数字が見えていないと、なかなか身につかない。
創業社長であれば、数字が読めなくても「腹計算」で自然と身についているものだが、
そうでなければ社長や取締役でも経営感覚を持っていないことがある。
突然だが、あなたは現時点で会社の決算予測が見えているだろうか。
3月決算の会社であれば、半年先の利益予想がそろそろ分かる頃である。
12月決算であれば、かなり正確な数字が見えているだろう。
なお、今期が残り半年を切っても決算数値が見えないような経営スタイルでは、
社長も社員も経営感覚は身に付かない。
経営感覚を持たずとも、新商品やチラシがヒットし、順調に売上が伸びる時はある。
しかし、経営感覚を持たずにいる会社は、儲かり続けることはない。一時的なヒットは、経営とは言えない。
◆経営感覚とは
ここまで何の断りもなく「経営感覚」という言葉を用いてきたが、
ここで「数字に基づく当事者意識」と定義しておく。
どんな立場であっても、自分が当事者であると認識して仕事をするか否かで、仕事の成果は大きく違う。
その仕事の最終責任者が自分であるという認識を持つと、
「仕事を処理する」だけでは、不安になってくるもの。
細部に亘りミスがないか、会社全体の業務との整合性があるか、効率化するには何が必要か、
仕事の完成度を高める方法はないか…など、適度な危機感の中で、やるべきことが山のように思い浮かぶ。
それが当事者意識であり、自分の仕事に対するオーナー意識である。
しかし、当事者意識だけでは独り善がりになりかねない。
経営に関係のない事柄を追及する研究者であっては困るのだ。
会社全体の数字や自分の仕事が会社の業績にもたらすインパクトを理解していてこそ、当事者意識に意味がある。
自分のいる工務部が、10%の工期短縮をしたら営業利益にどれだけインパクトがあるか、
自分のいる設計部が、10%コストダウンできる設計手法を採用したら粗利益に何%の改善効果があるか…など、
全社的な経営数字を理解した上で「数字に基づいた当事者意識」を持って
仕事に取組む姿勢が「経営感覚」である。
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